ジョンケスラー氏はテリーオファロン博士のSTAGESモデルに合致した発達的実践のフレームワークとしてIPPを構築し、日本においてSTAGESモデルを学んだ人たちと、Metaware層の体験を深める実践としてIPPのプラクティスをジョンケスラー氏をファシリテーターとして実践できたことはとても有意義なことでした。
いわゆるティール段階(4.5のストラテジスト)においては、極性(ポラリティ)を認識する能力を身につけ、白黒思考やどちらか一方の思考から、どちらも両方(4.0の多元主義者、またはグリーン)の能力をさらに発展させて、どちらかを選ばざるを得ない状況だが、どちらかを選ぶことによって、どちらかを失ってしまう、というジレンマの状況、矛盾した状況、パラドックス的な状況をどのように統合し、バランスをとるかということについての認識(アウェアネス)が身についてきます。
これによって、ティール(4.5のストラテジスト)リーダーは、人の平等に扱うことの正義と人の成長度合いや発達どの違いにおける認識の違いのパラドックス、ジレンマに対する克服を可能にしようとしていくことにチャレンジしていきます。
一方、グリーン(4.0の多元主義者)は人を平等に扱うことと、人の成熟度合いに関して、混乱を体験し、乳幼児、幼児、子ども、の無垢さ、古代の人類の叡智の高さ、見識の高さ、自然や動植物の知恵の偉大さを過大評価しすぎて、現代文明の低俗性を過度に過小評価する傾向などが起こりがちですが、その反面、人を能力や社会的な成功度や経済力などだけで評価するのではなく、ありのままのその人間性や内面を評価し、古代の叡智、子どもたちならではの独自の視点や世界観の美しさを再認識する能力を開発していきます。
ティールの視点は、これらのグリーンの視点を超えて含み、統合し、あらゆる存在のそれぞれ固有の視点や世界観、存在価値を承認することと、認識、認知、理解、価値観などの発達的な視点の違いを混同せずに、水平性[相対性]と垂直性[絶対性]の統合に取り組みます。
ティール認識能力をサポートするフレームワークとして、ポラリティマネジメントのフレームがありますが、極性をマネジメントするフレームにおいては、ジレンマやパラドックスのプラス面とマイナス面を統合する視点を提供しますが、それらの視点には、さらに微細なコーザルな質は欠けています。
ジョンケスラーによるIPP(Integral polarity practice)
2024/08/18
それを補い、サポートするフレームワークとして、IPPをジョンケスラー氏は開発しています。
つまり、ジレンマやパラドックスが起こるそれぞれの極性の中間点には静止点が存在し、その静止点に立ち止まり、プレゼンスを保つことによって、新たなものが出現するという体験を促進しています。
このコーザルな視点がティールにないものであり、STAGESモデルが明確にしているMetaware層でもあります。
日本においても、プレゼンス(あり方)という言葉やドゥーイング(Doing)ではない、ビーイング(Being)という言葉は知られていて、その重要性や、あり方を大切にした生き方ということは認知されていると思いますが、ほとんどそれは、4.0の視点から捉えられたものが多く、それはつまり、成熟した人の在り方が素晴らしい時に認識したり、自分の在り方に問題があった場合に、それを後になって振り返って、反省する、という形においてのみ認識されるものがほとんどのように思います。
プロセスワークのエイミーミンデルが書いた「メタスキル」においても、コンパッションなど思いやりが重要であるというようなカウンセリングスキルやテクニックでカバーできない意識の使い方ということについて語れているものはありましたが、そのスキルをさらにどのように構築すればいいかについての方法論は、まとめられているものというのをわたしは寡聞にして知りません。
ジョンケスラーはたくさんのポラリティの実践フレームにおいて、それらのメタスキルというものがどのように出現しているかということについて、区分をつけており、IPPはわたしにとっては、コーザルな心理学のようなものです。メタ心理学のメカニズムを、IPPを通じて、ジョンケスラーはマッピングしようとしているように思います。
わたしたちがビーイング、プレンゼンスの状態である時、それがどのような美徳として、出現し、行動の美徳として、どのような行動がバリエーションとしてあり得るのかをジョンケスラーは導いてくれます。
Metaware層の特徴として、これまで私たちは過去のトラウマやシャドウ、無意識の習慣や癖や神経系のパターン、過去の歴史からの集団的な痛みについてワークするだけでなく、未来がもたらそうとしている美徳や光を自らに取り入れ、それらの希望に向けて、自らの神経系のパターンを理想的な状態に変化、変容させていくということについても取り組むことを同時におこなうようになっていきます。
今後も、引き続き、みなさんと光を取り入れていくための実践の場をつくっていきたいと思っています。よろしくお願いします。
つまり、ジレンマやパラドックスが起こるそれぞれの極性の中間点には静止点が存在し、その静止点に立ち止まり、プレゼンスを保つことによって、新たなものが出現するという体験を促進しています。
このコーザルな視点がティールにないものであり、STAGESモデルが明確にしているMetaware層でもあります。
日本においても、プレゼンス(あり方)という言葉やドゥーイング(Doing)ではない、ビーイング(Being)という言葉は知られていて、その重要性や、あり方を大切にした生き方ということは認知されていると思いますが、ほとんどそれは、4.0の視点から捉えられたものが多く、それはつまり、成熟した人の在り方が素晴らしい時に認識したり、自分の在り方に問題があった場合に、それを後になって振り返って、反省する、という形においてのみ認識されるものがほとんどのように思います。
プロセスワークのエイミーミンデルが書いた「メタスキル」においても、コンパッションなど思いやりが重要であるというようなカウンセリングスキルやテクニックでカバーできない意識の使い方ということについて語れているものはありましたが、そのスキルをさらにどのように構築すればいいかについての方法論は、まとめられているものというのをわたしは寡聞にして知りません。
ジョンケスラーはたくさんのポラリティの実践フレームにおいて、それらのメタスキルというものがどのように出現しているかということについて、区分をつけており、IPPはわたしにとっては、コーザルな心理学のようなものです。メタ心理学のメカニズムを、IPPを通じて、ジョンケスラーはマッピングしようとしているように思います。
わたしたちがビーイング、プレンゼンスの状態である時、それがどのような美徳として、出現し、行動の美徳として、どのような行動がバリエーションとしてあり得るのかをジョンケスラーは導いてくれます。
Metaware層の特徴として、これまで私たちは過去のトラウマやシャドウ、無意識の習慣や癖や神経系のパターン、過去の歴史からの集団的な痛みについてワークするだけでなく、未来がもたらそうとしている美徳や光を自らに取り入れ、それらの希望に向けて、自らの神経系のパターンを理想的な状態に変化、変容させていくということについても取り組むことを同時におこなうようになっていきます。
今後も、引き続き、みなさんと光を取り入れていくための実践の場をつくっていきたいと思っています。よろしくお願いします。