ケンウィルバーの新著「Finding Radical Wholeness」が出版されました

2024/06/24


ケンウィルバーの新著「Finding Radical Wholness」が6月12日に発売されました。
最近は「ラディカル○○」という本がたくさん出版されていて、「ラディカルアクセプタンス」」「ラディカルコラボレーション」「ラディカルレスポンシビリティ」など、さまざまな分野・テーマでラディカルというタイトルがついていましたが、ケンウィルバーは「ラディカルな全体性を発見する」というタイトルで、これまた彼らしいインパクトのある題名の本になっています。

ここ最近のインテグラルの動向としては、ターコイズの段階に関して、具体的かつ詳細な情報、研究が増えてきており、今回のこの著書においても、ターコイズ段階の「Growing up,Waking up,Cleaning up,Showing up,Opening up」がより包括的に含まれていることなどが指摘されています。

この本の中では、特に「タントラ」についての項目が多いことが従来のケンウィルバーの著書の中でも違いを印象付けている。多くの宗教、スピリチュアルがセックスは避けるべきだという主張をしてきたのに対して、タントラは、スピリチュアルと肉体を対立するものではなく、ひとつのものととらえていることを再評価しようとしている。
「セックスはスピリットに対する罪ではなく、スピリットへの直接的な道となった。」

また、日本語訳されているロバートキーガンの著書「なぜ弱さを見せあえる組織は強いのか」(英題『An Everyone Culture』)についても触れており、そこで提唱されているDDOについて論じながら、企業で実践できたことがさらに社会全体のカルチャーに発展するDDC(意図的に発達させる文化)について論を展開しています。

(以下引用)
ロバート・キーガンは、その著書「なぜ弱さを見せあえる組織は強いのか」(英題『An Everyone Culture』)の中で、企業が企業文化に発達段階を意識させ、企業の外面的な成長と利益を従業員の内面的な発達的成長と結びつけるとどうなるかを示している。そうすることで、従業員の幸福度、従業員の離職率の減少、利益の度合いなど、事業の成功を測るほとんどすべての指標が劇的に向上することがわかった。
ハーバード大学教育大学院の教授であるキーガンは、組織が発達を意識した組織となるための支援に生涯を費やしてきたが、その証拠は組織がDDO(意図的に発達を促す組織)となることの重要性を圧倒的に示していると結論づけている。DDOは内面だけでなく、4象限にも注意を払う。DDOの方向に進もうと考えている人たちに、ウィルバーが『インテグラル』、より適切にはホリスティックな視点と呼ぶもの、つまり4つの象限すべてに目を向けるよう促す」
言い換えれば、完全にショー・アップ(存在すること・体現すること)することである。そしてキーガンは、経験から、これが実際にはある程度の努力と実践を要するものであることを知っている。そしてこれは、人類が世界的な発達段階に達しているという私の考えと合致する。つまり、私たちの進歩だけでなく、私たちの問題も本質的に世界的なものになったということだ。
私は、このような特に厄介なグローバルな問題を「邪悪な問題」と呼んでいる。私たちが「邪悪な問題」と呼ぶものには、さまざまな特徴がある。例えば、多次元的であること、複数の利害関係者がいること、複数の原因があること、複数の症状があること、複数の解決策があること、そして常に進化していることなどが挙げられる。

グリーン(ポストモダン)が望んでいることは、多様性、平等、包括性という言葉で要約でき、すべての存在を完全な平等に包含すること、つまり平等という包括的な傘の下にすべての多様性を受け入れることである。ある意味、それは立派で崇高な理想だ。しかし残念ながら、それはグリーンという道具だけでは達成できない。グリーンが平等や公平の達成という問題に取り組む方法は、すべての人が同じように扱われるべき領域(社会的、文化的、性的、人種的、教育的、政治的)を特定することである。そのため、人々が不公平な扱いを受けていることを示すと思われる外見上の指標(女性の賃金格差、キャンパス内のレイプ文化、貧富の格差やトランスジェンダーのトイレの権利などに見られる白人の特権の蔓延など)をすべて追跡する。残念なことに、グリーンはまだ第1層であり、それ自体が完全に包括的なものではないため、これらの問題に対して完全に平坦なアプローチをとっている。

グリーンは特に、内面的発達の段階そのものがこれらの問題をどのように扱うかについての深い違いを追跡していないか、あるいは意識すらしていない。例えば、社会的平等として社会正義を求める願望は、グリーンのみに由来する願望である。そして、これまで見てきたように、そもそもそのようなグリーンの価値観に気づき、それを望むようになるには、個人が通過しなければならない6つほどの主要な発達段階がある。つまり、アンバーに由来する、人種差別的、性差別的、女性差別的、同性愛嫌悪的、トランスフォビア的、外国人嫌悪的、原理主義的宗教的、超愛国主義的、植民地主義的などのものである。

これまで見てきたように、米国の人口の最大60%がエスノセントリック(自民族中心)な段階(またはそれ以下)にある。それ以前の段階にいる人々が、グリーンに由来する価値観を受け入れることに同意することはあり得ない(しかし、彼らがすることは、本質的に反グリーンで反ポリティカル・コレクトネスであるトランプのような人物を大統領に選ぶことである)。したがって、グリーンなポストモダンの社会的アジェンダの中心的な要素は、もしそれが本当に効果的で、実際にグリーンな価値観を推進することに成功したいのであれば、個々人がより高い、世界中心的な段階(グリーンは特にポストモダンの世界中心的な段階を目指すだろう)まで成長し、内面の発達を助けるような方法と手段(教育、経済、技術、文化)を提案し、真剣に支援することでなければならない。言い換えれば、DDC(意図的に発達させる文化)の創造を助けるために機能しなければならない。これが、グリーンへの支持を実際に生み出し、高める唯一の方法なのだ。しかし、グリーンは正反対のことをする。「より高い」発達などという考え方は、それ自体が恐ろしい権力ヒエラルキーの証拠であり、人種差別主義や性差別主義といったエスノセントリズムにまみれていると考えるのだ。言い換えれば、グリーンはグローイング・アップを成長のヒエラルキーではなく、支配のヒエラルキーとしてしか見ていないのである。(つまり、自然界に存在する大部分の階層が成長階層であるにもかかわらず、すべての成長のヒエラルキーを支配のヒエラルキーと同一視しているのである。先に述べたように、分子は原子を憎んで抑圧しているのではなく、原子をとても愛しており、自らの構造の中に原子を取り込んで受け入れているのである)。

グリーンのとっている行動は、グリーンが最も望んでいることを効果的に妨げているのだ。そして、人種差別、性差別、同性愛嫌悪、外国人嫌悪を減らすために提案するすべての方法と手段は、それらの偏見の最も中心的な原因そのものを明確に無視し、否定している。このように、グリーンは問題を発見するが、その行動は本質的に問題を解決することができないのである。

一方、第2層のグローバル・インテグラル段階は、実際に真の意味で包括的な最初の段階である。グリーンは多様性と包括性を切実に求めているが、インテグラルは実際にそれを実現する。インテグラルは、内面(およびその異なる世界観)の真の多様性と、彼らの成長段階を純粋に包含し、その段階を通じた個々の成長を最も効果的に高め、平等に包含する方法を慎重に検討する。このように、グローバル・インテグラルは、あらゆる発達段階の真の多様性を包含し、純粋に包括的で、成長すること(Growing Up)と体現すること(Showing Up)を完全に包含する世界中心的な方法で、それらすべてを等しく受け入れる正当な方法を見出すのである(Waking Up、Opening Up、Clean Upも同様)。要するに、インテグラルはDDCを導入し、キーガンがそうであるように、4つの象限すべてにおいてそうしているのです。
(上記引用)

まとめ
ケンウィルバーは、グリーンによって、多くの問題が発見されるものの、グリーンが内面の発達段階の違いを認めないことによって、もっといえば、それらにアレルギーを持つことによって、問題の本質が、行為や倫理観にあると錯覚されがちで、それは内面の発達段階の違いからくるものだという本質を見極めない限り、問題や対立がより大きくなり、トランプ支持者を増やすことにすらなってしまっているという現実の指摘もしている。
DDOを実践している企業の成功事例から、それを社会全体に広げるビジョンをケンウィルバーは提案しているが、それと同時にまた、このグリーンの失敗は、多くの企業でもまさにいま起こっている。
売上の低減、従業員のモチベーション低下、自律性の低下、相互不信、不和、対立、ステークホルダーとの見解のずれ、ダイバーシティインクルージョンの難しさ、企業を取り巻く多くの問題が、現象や倫理的問題としてだけ論じられ、その「マネジメント手法」や「対話の手法」や「組織開発の手法」だけが宣伝されている傾向があるが、問題の本質が、発達段階の違いだということを見落とすことによって、あらゆる解決策が、その的を外したかたちになるだけでなく、さらに副作用を起こすことにもつながってしまう。

例えば、組織開発の手法の代表例は、組織で「対話」をしましょう、ということだが、実際にそれを導入すると、予想をはるかに上回るネガティブなフィードバック、例えば、「時間の無駄」「意味がわからない」「対話の時間があるなら仕事をしたい」「会話の仕方が不自然で気持ち悪い」「宗教っぽい」「お互いをあらためて深く理解する意味がわからない、それよりも仕事に集中したほうがいい」というような反応が起こったり、対話の場だけではうまくいっても、実際の仕事の現場では、いつも通りの非対話的な一方的な会話、批判、非難、ジャッジメントが起きて、対話をした効果が短期間で終わってしまうというような問題はよく耳にすることだ。

これらを整理するためには、まず、お互いの発達段階の違いから、このダイナミズムが起こっているという洞察が必要不可欠で、さらに、それらのダイナミズムを理解する前に、それぞれの置かれている役割、立場、文化、文脈の違いを認識するだけでなく、それぞれの人がどのような認知でものごとを見ているか、考えているか、感じているか、発話をしているのか、発話すらしないのか、ということをタイプ論などのレンズからも理解する必要がある。

対話をすることに価値を置いて、多様性を認め合うことに価値を置いている、その価値を絶対視し、それを押し付ければ、反発が起こるということを知り、多様性を認め合うことを認めない価値観の多様性を包含した上で、どのように統合し、発達を促すかを検討していかねばらないことをケンウィルバーは提唱している。

これらの問題は、企業の中でひとりだけがこの問題を理解していても、解決はできないが、少しずつでも、理解者を増やしていくこと、これらの問題意識を共有している人たちのコミュニティが必要不可欠であろう。なぜなら、グリーンは成長のヒエラルキー(大人に発達段階が存在するという新しい視点そのものにアレルギーを示すため、その免疫反応をどのように扱うかということについて、かなりの研鑽が必要とされるからである)
しかし、この一見遠回りに見えることは、めぐりめぐって、DDCの展開そのものにもつながることになる。

ケンウィルバーの新著「Finding Radical Wholeness」は、さまざまな解決の可能性を示しているものの、ティール以降のターコイズ段階や、スピリチュアルな目覚めと成長の統合に焦点が置かれているため、企業のDDOに興味があり、それ以上やそれ以外の領域において発達や目覚めを拡張させたいという方でないと、読むのはしんどいかもしれません。

ただ、これらも、やはり問題意識が共有できる人たちとコミュニティをつくっていくことによって、より多くの問題の本質や、問題へのアプローチ、自身の取り組むべき発達課題が見えてくるのではないかと思います。